【都市社会学とは】シカゴ学派の理論・日本社会からわかりやすく解説

wanwei2025192025-06-21 23:12:01
  都市社会学の起源はある時代のアメリカですが、急速な都市化を経験した日本社会でもその理論や分析の視点は応用されています。   都市社会学の発展に伴い「新都市社会学」や「都市論」などの理論的立場が登場し、都市をめぐる分析はさらに精緻化しています。   そこで、この記事では、   都市社会学における「都市」の意味   都市社会学の歴史   都市社会学の理論   都市社会学と日本社会   をそれぞれ解説します。   ぜひ興味のある箇所から読み進めてください。   1章では、都市社会学を概説します。都市社会学と日本社会の関係に関心のある方は、2章から読んでみてください。   まず、冒頭で提示した都市社会学の特徴を確認すると、次のようになります。   都市社会学におけるです。   ウェーバーとワースは同じような「都市」の定義を提示しました。両者の共通点は次の通りです。   ウェーバーとワースはこれらの条件を提示しましたが、私たちの経験と一致しない場合も多いと思います。たとえば、「下町」における親密な人間関係は上述の定義には符合しません。   ウェーバーとワースによる「都市」の定義は古典的な定義ですので、ここで触れましたが、重要なのはあなたの経験と比較して、都市のあり方・定義を考えていくことかもしれません。   あらゆる都市に適応可能な普遍的定義を提示することは難しいですが、思考的な遊びとしてあなたの暮らす都市の特徴を考えてみると面白いかもしれません。   さて、都市社会学は起源はアメリカ社会学の一派の「シカゴ学派」にあるといわれます。   「シカゴ学派」には、   ロバート・パーク   ルイス・ワース   アーネスト・バージェス   といった著名な学者がいました。   これらの学者は、と試みます。   シカゴを対象にした研究や分析が蓄積されると、それは「都市社会学」といわれるようになります。ここではシカゴ学派が用いた分析理論を紹介します。   シカゴ学派の理論的立場は「人間生態学」と「アーバニズム論」があります。   1-3-1: シカゴ学派と人間生態学   具体的に、人間生態学の立場は「動物生態学」や「植物生態学」をモデルとしながら、「いかに都市空間に社会的な秩序が構成されるのか?」「その都市空間はどのように変容するのか?」といった問いを投げかけました。   「なぜ人間生態をモデルとするの?」と思う方が多いと思います。その疑問には人間生態学的立場は、「文化的な社会」と「共生的な社会」という二つの側面から社会を捉えるからといえます。   文化的な社会と共生的な社会は、次のような関係をもっています。   つまり、です。   都市部における共生的な関係を基層として分析をおこなうため、この立場は「人間生態学」といわれました。   1-3-2: シカゴ学派とアーバニズム論   アーバニズム論の論点はシンプルですので、わかりやすいと思います。   アーバニズム論では、   都市という変数を大量・高密度・高異質的な人口の土地であると定義   都市における人間の行動(利己的行動、階級、エスニック集団等)を変数から説明する   といった特徴があります。   シカゴ学派の理論には批判もありますが、今日私たちが「都市社会学」というとき、その「土台」となるのは上述した分析理論です。   さて、1960年代から1970年代になると、が出現してきます。その一派は「新都市社会学」といわれました。   具体的に、新都市社会学は次のような批判をしました。   マルクス主義的にいうならば、ということです。   ちなみに、マルクス主義に関しては以下の記事で詳しいです。   →【マルクス経済学とは】史的唯物論から『資本論』の世界まで解説   →【上部構造・下部構造とはなにか】マルクスの議論をわかりやすく解説   1-4-1: 新都市社会学とカステルの議論   新都市社会学の代表的な論者は、マニュエル・カステル(Manuel Castells 1942年−)です。カステルは都市社会学に対する批判的な視点から、新たな都市社会学のあり方を追求していきます。   カステルは都市の問題を空間と社会の関係であると主張し、都市空間は社会的な生産と消費が必須の要件の社会であると捉えました。   経済決定論を回避しようとするアルチュール学派の影響を受けたカステルは、都市空間における社会的な生産と消費が経済、政治、文化のなかで重層的に決定されていると主張したのです。   つまり、経済的な下部構造の決定の結果として社会を捉えるのではなく、政治的な権力や都市におけるシンボリズムなどの要素をとおして構成される社会をカステルは想定しています。   カステルの議論は彼の代表作である『都市問題』(1984)を参照ください。日本でも影響力をもった議論で、都市空間に興味のある方には必須本です。   1章は都市社会学が立ち現れる歴史や理論が中心でしたが、2章では日本社会における都市空間について紹介します。   社会学者の中村晋介によると、しています。具体的に、日本社会の近世期には、次のような歴史があります。   そして、日本社会における「マチ」は2度の波をうけることで「都市」へ発展していきます。   2-1-1: 「マチ」から「都市」への発展:第一の波   この時期の日本社会は、   重化学工業の発展により、都市部での労働機会の増加(特に、繊維産業や鉄工業)   農村部の経済的停滞   といった状況的な特徴がありました。   その結果、都市部人口比率(都市部人口/総人口×100)ははじめて30%を突破します(1920年18.2%→1930年33%)。   この時期に多くの人口が都市部を目指しますが、   でした。このような理由から都市の発展は限定的なものでした。   2-1-2: 「マチ」から「都市」への発展:第二の波   この時期の日本社会は、   敗戦に伴う社会体制の変革、石炭から石油へのエネルギー革命、交通網の整備などによる産業化と工業化(たとえば、太平洋ベルト)   貿易の再開による農産物の価格低下   という特徴があります。   これらの社会的影響を受けて、に達します。   村落部から都市部へのこの大移動は、次のような問題を作り出しました。   大まかにこのような2つの波をうけて、日本社会における近世的な慣習やしきたりが形骸化し、「マチ」が「都市」に変化したのです。   2つの波を経て都市化した日本社会は、多くの人に「都市の経験」を強いるようになります。社会学者の永井良和は「都市に暮らす経験」の特徴を提示しています。   グローバリゼーションに伴う外国人労働者の増加を考えると、都市問題はさらに複雑になっています。そういった意味でも、都市問題は人間共存の可能性を模索する人類普遍の課題です。   このような理由から、「都市」を「社会学的」に研究にするとは現在注目される分野の一つであり、将来の発展性をもった大事な分野なのです。   これまでの内容をまとめます。   どうでしょう?都市社会学について理解を深めることはできましたか?最後に、あなたの学びを深めるためのおすすめ書物を紹介します。   最後に今回の内容をまとめます。
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